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TOEIC満点への道 Vol.31

 

3つの資格が変えた人生 – 35歳での転機

「一生、英会話スクール講師でいいのか」

2017年の秋。TOEIC 990点満点を達成した興奮が少し冷めた頃、私の頭に一つの問いが浮かびました。

「このまま、英会話スクール講師を続けていいのか」

英検1級、通訳案内士、そしてTOEIC満点。「英語資格三冠」が揃ったことは純粋に嬉しかった。でも同時に、自分の置かれた状況がより鮮明に見えるようになっていました。

給料が、安いのです。

正直に言いましょう。英語講師という仕事は、求められることが非常に多い割に、報酬が見合っていませんでした。授業の準備、生徒対応、企業出張講義、テキスト研究。仕事の内容は決して軽くない。それでも、社会一般の正社員と比べると、給与水準は低いままでした。

「英語資格三冠を持っていても、この給料か」

ぼんやりとそう思い始めたのが、この時期でした。

 

突発性難聴という「警告」

その問いは、ある日突然、体が先に答えを出す形で現れました。

朝起きたら、片耳の聞こえがおかしい。音は聞こえるのですが、どこか水の中にいるような、こもった感じがする。最初は「寝る向きが悪かったかな」と気にしていませんでしたが、1日経っても改善しません。

病院に行くと、診断は突発性難聴でした。

「ストレスや過労が原因になることが多いです。しばらく安静にしてください」

医師にそう言われた時、何とも言えない気持ちになりました。「英語講師として、耳をやられる」というのは、ある種の笑えない皮肉でもあります。英語を聞き取れてなんぼの仕事で、聴覚に異常が出るとは。

幸い、早期に治療を始めたことで聴力は回復しました。でも、この出来事は私に一つのことを強く意識させました。

「このペースで続けていては、いつか本当に壊れる」

体というものは正直です。頭で「まだ大丈夫」と思っていても、どこかで限界のサインを出してくる。私にとっての突発性難聴は、「そろそろ変わりどきですよ」という体からのメッセージだったのかもしれません。

 

ハローワーク再訪:今度は「英語を使う事務職」を目指して

転職を本格的に考え始めた私は、まず方針を決めました。

「英語講師は、もうやめにしよう」

英語そのものは好きです。英語を教えることも、嫌いではありませんでした。でも、「英語講師」という形での働き方に限界を感じていた。英語力を活かしながら、別の形で働けないか。

頭に浮かんだのは、英語を使う事務職や、貿易関係の仕事でした。せっかくTOEIC満点があるのだから、企業のグローバル部門で働けるのではないか。英文メールを書いたり、外国人ビジネスパートナーと折衝したり。そういうイメージです。

かつてお世話になったハローワークに再び足を運び、転職エージェントにも登録しました。

「履歴書」の職歴欄は、かつてとは見違えるほど充実しています。英検1級、通訳案内士、TOEIC 990点満点。英会話スクール講師として5年の経験も加わりました。29歳の時に「英検準2級しか書けない」と嘆いていた頃とは、天と地ほどの差です。

しかし。

 

「未経験」という厚い壁

現実は、甘くありませんでした。

英語力という武器は確かにある。でも、「貿易実務の経験」や「海外ビジネスの実績」が問われた途端、私には何もない。35歳で未経験の異業種に転じようとすることの難しさは、思っていた以上でした。

「英語力はわかりました。でも、この仕事の経験はありますか?」

面接官からそう聞かれるたびに、「ありません」と答えるしかない。資格は持っている。スコアも持っている。でも、企業が欲しいのは「使える即戦力」であって、「これからの伸びしろ」ではないのです。

何社かの書類選考や面接を経験しながら、私は少しずつ現実を受け入れ始めていました。

「英語講師以外の仕事で採用されるのは、相当に難しい」

これは、なかなかの皮肉でした。TOEIC満点・英検1級・通訳案内士という「最強装備」を揃えた状態で挑んだ転職活動が、29歳の無職時代と同じ壁にぶつかるとは。

ゲームで言えば、レベル99のキャラクターが「素材集め」という地味な作業でつまずいているようなものです。強さの方向性が、求められているものと噛み合っていませんでした。

 

エージェントからの一本の電話

そんな時期に、登録していた転職エージェントから連絡が来ました。

「亀井さんのご経歴を拝見して、ぜひご紹介したい求人があるのですが。英語専門の学習塾です」

正直、最初に聞いた時は気乗りしませんでした。「また英語講師か」と思ったからです。英語講師の仕事を離れたくて動いているのに、また同じところに戻るのか、という感覚でした。

でも、担当者の説明を聞いているうちに、少し耳が止まりました。

「多読・多聴を中心に据えた、英語専門の塾なんです」

多読・多聴。その言葉に、私は反応しました。

これまでの英会話スクールの仕事では、テキストに沿った会話練習や、TOEICの点数を上げるための試験対策が中心でした。それはそれで意義のある仕事ですが、私が英語力を伸ばしてきた方法、すなわちサウスパークを何度も見て、BBCラジオを聴き続けて、本物の英語に大量に触れることで力をつけてきたこととは、少し違う方向性でした。

でも、多読・多聴を軸にした塾というのは、私自身の経験と重なる部分がある。自分が実際に効果を感じてきたやり方を、教育の場で体系的に実践できるとしたら。

「一度、話だけでも聞いてみよう」

そう思って、面接を受けることにしました。

 

採用通知と、新しい扉

面接では、自分の英語学習の経緯を話しました。ニュージーランドでの経験、サウスパークから始めた学習方法、『Grammar in Use』との出会い、企業研修でのTOEIC指導。そして「英語資格三冠」の話。

相手は、真剣に聞いてくれました。

「亀井さんの学習経験自体が、生徒さんに伝えられる財産だと思います」

後日、採用の連絡が届きました。こうして私は、栃木県宇都宮市にある英語塾「アカデミック・ロード」の講師となったのです。

採用通知を受け取りながら、私はふと思い出しました。29歳の時、初めて正社員の採用通知をもらった時のことを。あの時の「やっと出発点に立てた」という感覚。今回は少し違います。「また新しい場所から、もう一度やり直す」という感覚です。

35歳での転職。映画館アルバイトから数えると、何度目の「出発点」でしょうか。

でも、あの頃と決定的に違うことが一つあります。

今の私には、積み上げてきたものがある。

英検準2級しか持っていなかった28歳の自分が、地道に積み上げてきた7年間の学習と経験。それは、どこへ転職しようとも、誰にも奪われないものです。資格は紙に過ぎませんが、その資格を取得する過程で身についた知識と習慣は、確実に自分の一部になっていました。

振り返れば、遠回りだらけの道のりでした。

大学中退、7年間の映画館アルバイト、29歳での初就職、英会話スクールでの試行錯誤、突発性難聴、転職活動の挫折。そのどれもが、今の自分を作るピースになっています。オンラインゲームで言えば、ひたすらフィールドを歩き回って経験値を稼ぎ続けた時間です。無駄に見えて、無駄ではなかった。

そして私は、新しい職場へと向かいました。

「多読・多聴」という、自分がかつて体で経験してきた方法論を、今度は「教える立場」として実践する場所へ。

 

【次回予告】

次回は、「英作文指導の重要性——なぜ書くことにこだわるか」をお届けします。

新しい職場・アカデミック・ロードで感じたこと、そして「書く力」こそが英語力の本質だと気づいた経緯についてお話しします。インプットとアウトプット、その両輪がなぜ重要なのか。

 

【今回のポイント】

  • 英語資格三冠を持っていても「給与水準の低さ」という現実は変わらない

  • 突発性難聴は、体が出した「変わりどき」のサインだった

  • 35歳・未経験での異業種転職は、最強の資格があっても容易ではない

  • 転職エージェントからの紹介で「多読・多聴専門塾」アカデミック・ロードと出会う

  • 積み上げてきた経験と資格は、どこへ行っても自分についてくる

  • 遠回りの道のりも、すべて今の自分を作るピースだった

【プロフィール】

  • 亀井勇樹(42歳)

  • 栃木県宇都宮市「アカデミック・ロード」英語塾講師

  • 保有資格:TOEIC L&R 990点、英検1級、通訳案内士(英語)