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AR史 第1回

ARのつかはらあやこです。

ホームページが新しくなり、ブログも新たになったので、はじめましてのみなさまにARをより知ってもらうために、わたしが2000年からスタートし現在に至るまでを記した『AR史』を再び連載させて頂きます。

すいません。わたしがつかはらあやこです。

 

今月から『AR史』と題して2000年から始まったARの歴史をこの『あんなことこんなこと』に書かせて頂きご父兄のみなさまにもARをより身近に感じて頂ければと思っています。ここまで来られたのは、ARの趣旨にご理解頂き、小山校、そして宇都宮校にお通い頂く生徒さんとご父兄さま、また私と一緒に頑張ってくれている(くれてきた)スタッフのお陰だと思っています。拙い文章ですがよろしくお願いいたします。

私(塚原)がARをスタートさせたのは2000年4月です。約18年もの年月が流れました。早いものです。
私は大学卒業後建設会社に勤めました。数年勤めた時に母が病になり、実家の茨城県古河市に戻ってきました。その時に介護をしながらできる仕事(昼間は介護なので夕方以降)という点で探した仕事が英語専門塾での英語を教える仕事でした。それが今のARの原点だと思っています。

ARスタート
もともと英語は得意でしたが、人にものを教えるという経験は初めてだったので、英語専門塾での仕事は英語指導というよりもどう生徒と向き合っていくのかという点でとても学びが多かったです。その仕事からのご縁で栃木放送ラジオ講座の放送講師等の仕事をしたりし、2000年にARをスタートさせました。
もともと高校ぐらいのときから何かのプロフェッショナルとしてフリーで生きていきたいという漠然とした想いがあり、偶然始めた英語を教える仕事の楽しさと奥の深さに嵌まり、28歳でARを始めました。

AとR
アカデミック・ロードってどうしてそういう名前になったんだろう?と思われる方もいらっしゃるかもしれません。『アカデミック・ロードAR』のacademicのAは私AyakoのA。roadのRは友人(Rica)のRです。つまり始めたときは2人でした。
しかし船頭が2人はだめですね。方向性を巡って毎日激論でした。その結果Rは1年後『私留学する~』と言ってARを離れていきました。Rは創造性がありいつもアイデアで溢れていました。教室にソファーを置くなど遊び心がある教室の原型はRが作ったといっても過言ではありません。

AR史 まとめ