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AR史 第2回

 

ARのつかはらあやこです。前回の1回目に続いて本日は連載2回目です。書いていて懐かしくなりました。

2000年~2004年 2回目
・名簿
AとRで始めたARですが、1年でAだけになってしまいました。実はそれまで家賃、光熱費を折半にしていたのでこれからは全てそれが私の肩にかかることになり、急いで何とかしないといけないと色々なことを始めました。小山の駅前でチラシ配りをしたり、他にアルバイトでもしようと面接にも行ったりしました。
そんな中私のT女子高出身の友人が『100周年記念の名簿ができたからあやちゃん使う~?』という今ではあり得ないありがたい申し出を受けました。
友人からのありがたい名簿の申し出のお陰でT女子校の生徒さんが7人ほど集まりトータルで15人くらい(ほとんど女子)の生徒規模でスタートしました。その当時は私も若かったので(笑)女子高生と毎日会って勉強することがとても楽しかったことを覚えています。楽しすぎて『喫茶塾』と生徒が命名したようにお茶やお菓子をだしていました(このことは後ほど詳しく話します)

『喫茶塾』と呼ばれていた頃はまだ多読も始めてなく、いわゆる普通の英語塾でした。私の中では全然納得がいかず、特にどうしたら英文が読めるようになるのか悩んでいました。
また、どうやって生徒を集めるのかも悩んでいました。ネット系全てをお世話になっていた友人かけの君に「あやこさんホームページがあった方がいいよ~」と言われてホームページビルダーを使って自分でホームページを作成していました。素人間丸出しのホームページでしたが、アットホームさとホームページのイメージが合っていたのでしょう意外と機能していました。
ホームページだけではなくチラシも自分で作成し、印刷機(リソグラフ)も中古で購入し自分で印刷までしていました。今考えると恐ろしく何でも自分でやっていました。

・喫茶塾
前回の話に出てきた『喫茶塾』ですが、始めて1,2年目はひまで、ひまで(笑)、また私だけお茶を飲むのが申し訳なくて生徒さんにもお茶やコーヒーを入れていました。そうすると、生徒さんが旅行のお土産等を持ってきてくれて、今度はそれを配ったり、また父兄が手作りお菓子をもって来てくれてそれを配ったりしていました。
今ではあり得ないほどアットホームでした。今でも生徒さんの旅行のお土産は生徒さんに分けたりしているのはその名残ですね。さすがにお茶のサービスは今はないですよ。

塾喫茶のころにいたまりこちゃん。かわいい女子高生だったまりこちゃんもこんなに素敵な大人になりました。ARのロゴを作成してくれたのも彼女です。



AR史 まとめ